2011年3月30日水曜日

What can I do for you?

東北地方の地震での瓦礫の撤去は3年~5年かかるらしい。役場には作業中に流れ着いた品物を持ってくる人たちがいるそうだ。


元住民や自衛隊の人たち。 アルバムや位牌などたくさんたくさん。思い出の品々。瓦礫の中から変り果てた姿になって出てくる。瓦礫の山々を見ているとボスニア・ヘルツェゴビナのような紛争地域の姿そのもの。同じ日本かと思う。


現地入りしている医科や歯科の先生たちは頑張っている。死者1万人を超え、未だ身元確認の出来ていない遺体の検視を行っている歯科の先生のメールを読むのが辛い。腐敗も進んで触ると皮膚が剥がれ骨が見える…


今私にできることは何? 現地に入る? 物を買占めしない?節電する? 物資を送る… 生きている方々を元気にする?…そんな大それたことは出来ない。やれることをやろう。

2011年3月29日火曜日

We Miss You…


  •  大震災で亡くなった方々のご冥福をお祈り申し上げます。

  •  災害で命を絶たれた方々以外、病死などで亡くなった方へのメッセージもこんな時だけに良く目にする。

  •  海外のサイトではWe miss you… 日本語訳で「悲しいよ〇〇さん」という追悼文。生前の、在りし日の思い出とともに、亡くなった方の人となりを切々と述べている。 「私の中では〇〇さんは死んでいない。なぜなら周りの人々の中に今も生き続け、記憶に留まっているから。だからどうか〇〇さんのことを忘れないで欲しい。私は死んだことを認めない」

  •  私が昔から読んでいる雑誌の亡くなったライターへの追悼文の一節。大の親友の追悼文だから、心情を察するには余りある一文。

  •  「死んだら天国に行ける。そこには愛する人がいて、楽しい事が待っている…」「人は心の奥底で感じている。愛する人がいるなんてウソ。みんなが怖い。でもそれを隠している。みんな知っている。決してバラ色の人生や第二の人生などあり得ないことを。奇跡なんて無いことを」 映画か歌劇の一節を思い出した。だからこそ“生”への執着が深く、病魔に負けて亡くなったことを“悔しい”と感ずる。生き残った人々だけが…

  •  亡くなったライターの文書を30年近く読んでいつも妄想にフケっていたいた私も I miss You…   生きてることを喜ぼう。

2011年3月23日水曜日

朝ズバを




観た。朝出掛けに。ほんの数分。ヤフーの検索でコメンテーターへのコメントが賛否両論。意見をするのは結構だが、“代替案を出せ”などなど・・・

でも今日のはすごかった。福島原発事故の件で新聞報道があった「マグニチュード9.0」を想定してという記事。つまり原発の建設に当たっては東京電力が想定以下の耐震構造で建設している訳だが、このコメンテーターのコメントが逝(い)けてる。

「莫大な費用を掛けて建設するのか。そこそこの設備で建設するのか…国民的議論が必要」とのコメント。国民が専門家集団ならともかく、素人集団の上に判断材料である情報が制限されている中での議論など成り立たないはず。漏れている放射能が尋常じゃないことがわかれば議論の余地はない。

朝ズバはスポンサー無しでの運営は決して出来ない。だからスポンサー批判は極力避けているとも思える。あえて調べはしないが、東京電力は何らかの形でTBSに資金提供しているだろう。
「企業の法人税減税を一刻も早く行え」という司会者の訴えも空々しい。
減税=収益という考え方だろうし、自身法人税で苦しんでいる??のかなと勘ぐってしまう。

原発事故といい最後のツケは国民で払えばイイという考え方なのだろう。
代替案は少しはある。既得権を持った人々には全く受け入れられないはすだ。